ちょっと切ないので、読むなら寂しくなった時に

心配はない

 

そう思える状況をいつもロジックしていた

 

 

いつ死んでも心配ない

 

小学校前後から、考えていた。

どちらかというと、

当時は死にたいと思っていた。

 

私は、生まれた時に、

20歳まで生きられない可能性

を示唆されたらしい。

 

それを聞いた時、

20歳で死ねるんだ

と、思った。

 

それからしばらくして父から貰った言葉

「オレはいつ死んでもいいんだ」

そうか、私もいつ死んでもいいようにしなきゃ

そう思った。

 

私が死んでも、母には父がいて

父には母がいる

今年は父が亡くなる予定だから、

母には従姉妹と弟がいる、

と思うようになった。

引きこもりの弟だけが、誰もいない

差し伸べた手は、ことごとく振り払われた。

でも、私の死は、彼には関係ないだろう。

 

私が死んでも心配ない。

 

恋人はいなくていい。

残していくなんて、

そんな酷なことしたくない。

だから、恋人はいらない。

 

20歳が近づいた時

なぜか27歳まで生きるな、と思った。

なんでだったか覚えてない

 

20代半ばでジェリビにあって

初めて

生きようと思えた。

死にたいがなくなって

生きたい、と思えた。

 

それからも、何故か37歳で死ぬと思っていた。

これは、37歳になるまで思っていた。

たぶん、心から、本気で思ってた。

38歳になった時

あれ?と思った。私、38になった?

ああ、私は生きなきゃなのか

と、死ぬつもりで生きていた自分から

生きるために生きることを考えるようになった。

 

なぜ、アロエベラに惹かれたのか。

もしかしたら、

生きるためを考えるようになった時に

初めて出会ったものだったから

かもしれない。

時期的に、そんな時期だった気がする。

 

死ぬつもりだったから、

未来が描けなかったのかもしれない。

 

未来が描けないのに

未来を信じたいと思っていた。

信じたい。信じてないけど、、

誰の心にも響かない、私の言葉。

 

今の私は確信してる。

確実に移住すると。

けれど、そんなの引っ越せばいいだけで

引っ越すと決めたら出来るから

当たり前なのだ。

 

確実に出来ることと

行動しないと得られない状況。

私は、その状況を整えるために生きている。

 

仮に、その状況を整えられたら

私がいなくなったらどうなるか?

誰かが引き継いでくれるだろう。

そんな人と繋がると決めている。

 

今は、なんの繋がりもない。

これから作る。

できないかもしれない。

それはそれでいい。私らしい。

出来たら、最高。

 

どこまでできるかの人生。

 

私だけが必要な人なんていない。

そして、私がいてもいなくても、

自分の人生歩む人と出会う。

 

そう、決めてる。

 

なんだろうね、

色々起こる気がするんだ、今年は。

 

春から、目まぐるしくなる。

そんな予感

 

書いたら消えちゃうかな?

 

沢山の出来事がある人生

最高だと思ってるから

できれば、未来に光が見える出来事が

今年は起こると信じたい

いや、信じよう。

 

どんな年になるのか

転職前ってワクワクする

 

確実に変わる時間があるって

私にとってはワクワク

 

さぁ、今年は何が待ってるかな?

 

 

地平線に高波が見える

いいよ、受けてやる

そしたらきっと、

また穏やかで泳げる海が待ってる

そしたら、こんどこそ漕ぎ出す

 

春に出立

そんな予感

それは、小さな一歩で

大きな未来に繋がってる

 

 

何もないけど

何があるかわからないけど

そんな予感

 

 

世間も去年に負けず、大きく変わる

私も、変わる

そんな予感

 

当たるといいな