試験約2ヶ月前(&後半は毒)

 

昨日、漫画読みつつ、
新たに見つけたサイトの問題解いてた。

苦手なとこは苦手。
でも、過ぎ去ったところも曖昧になってる。。
合格ラインぎりぎりの数値となった。低い。。

このまま試験受けたら、完全に「運」試し。
私の覚えたところばかり出れば合格。
昨日の問題集と同じ感じなら、
合格ラインぎりぎり過ぎて、完全に運。

つまり、まだまだ
覚え切れてないor曖昧
なところが沢山ある。
問題解いてて、間違えて、ああそうだった
と、何回思ったか。。

だいたい、私がちゃんと勉強したの
友達とジュースかけてた高校時代一回くらいで、
あの時は定期テストだから範囲も限られてて
やったといっても、数日やったくらいだ。
資格は学生の頃色々(無駄なもの)取ったけど、
あれは完全集中できて、範囲もやっぱり分かりやすかった。

が、
今回は、私の大嫌いな暗記が必須。
なのだが、、
今回は範囲が半端ない。
根拠も見つからない。から、覚えにくい。。
やると決めたから、やるけど
めっちゃ勉強したくないー!!
一発合格したい‼︎‼︎
てか、落ちるの恥ずかしい基準。。
あと2ヶ月、頑張る

 

 

 
テスト勉強だけは出来ない人なので
コウノトリを5巻まで読んだ。
命あるだけで幸せ
って言葉を思い出した。

何で読んだか聞いたか忘れたが
医者か看護士に
なぜ自分だけがこんな病気に!
と嘆き絶望する患者に
では、もっと重い病気の人と代わりますか?
みたいなことを言われたらしい。

誰だって、目の前に起きることは
自分だけが乗り越えなければならないこと。

私はそう解釈した。

病気を嘆く人と向き合う人
どっちが傍にいて支えようと思うか。
父親浮かんだ。
初めての入院で、不貞腐れてた。
オレは死ぬんだ。。みたいな感じで
2時間かけて病院まで行った私と
話すどころか向き合おうともしない。
一度もこっち見なかったんじゃないかな。
腹が立ったね。
初めての入院と、確かに体力落ちてたから
一時は危なかったらしい。
が、逆に体力さえ落ち着けば手術が受けられ
助かるのだと確信していた。
麻酔に耐えられないほど落ちていた体力。
すぐにでも受けたい手術が受けられず
家族に甘えまくる病人。
わからなくもない。わからなくもないが
もともと昭和の亭主関白人間で
要は幼稚園児なんだけど、
この時は20代前半までの私に戻るとこだった。
私に家族愛はほぼない。
親だから、見舞いに来た。
特に父とは、子どもの頃に離別した。
覚悟はその時から出来てる。

人が死を嘆くのは、自他共に
覚悟「心の準備」ができていないからだ。
いつ死んでもいい、と真顔で言って
いざ死を目の前にして不貞腐れてる姿に
憤りくらい感じてもいいと思った。

あんまり良い話じゃないけど
内臓破裂で助かる方も亡くなる方もいた。
1人は親戚、1人は遠い先輩。
亡くなった方は、盲腸の破裂だった。
普通に過ごしてた同級生が目の前で倒れ、
全身を痙攣させてる姿も見た。
脳震盪は自分も経験あるし、
頭からは血が流れやすいのも見てきた。
(私は少し気を失っただけです)
私の祖母は、話すことも動くこともできずに
何年も何年も生きた。
何年も何年も、だ。想像を絶する。
もちろん、嘆くこともできない。
時には当たりたくなることもあるだろう。
けれど、そんな人を支えようと思えるのは
仕事で関わる人か、きちんと好いてくれてる人
だけ。
私のように、家族ではなく、
ただの親としか認識してないものが
支えようとは思わない。
今年の入院は自分でかけてきたし、
声がハッキリしていた。
昨年の入院で心の準備が少しできたのだろう。
病院に行きたくないと駄々をこねてた幼稚園児も
やっと小学生になったようだ。

別に、凹むな、当たるな、と言ってるわけじゃない。
苦しかったり、身体が思うようにいかないと
私だって当たり散らしたくなる。
けど、見舞いに来た人まで疎かにしてたら
おそらく、今までも、どんな人にも
同じように不貞腐れた態度とってただろう。
父より、母や、手伝ってくれてた従姉妹が心配になった。
従姉妹は、私の母が育て親みたいな人だから
安心して任せられるんだけど。

いつ死ぬかわからない
なんて、誰でも一緒。
だから、最愛とかペットとか
私に耐えれる自信ないからつくらない。
もしできたら、心の準備を確実に考える。
今の最愛はジェリビだから、彼らが、、
という事も時折考える。
私より先に死なないで。
でも、死ぬ可能性もある。
絶対嫌だけど、その可能性もある。
そう、考える。

核家族化と高齢化で、
身近で死を見ることが少なくなった。
だから余計に覚悟「心の準備」が何もない
そんな人が増え、精神負荷に耐えられない
そんな人が増えてる気がする。
軽いデスゲームみたいな内容が増えてるのも
戦争を知らない子どもたちならではな気がする。
ご高齢の方が、たった1人になっても
孤独と戦いながら一生懸命に生きているのだ。
戦うべきは、他人でなく自分。

私も戦争は知らない。
けれど、殺し合いを選んで観るのは
やっぱり血祭りって言葉があった
人間の狂気的なものなのかな、とも思う。
今の日本を見てると、ヨーロッパのような
残虐さをもってもおかしくないのでは?
と不安になる。
人から与えられることになれ、
弱いものから奪う、自分が簡単にできること
だけを追求した先にあった世界。
正も負も、与えられて育まれた大人たち。

考えることを放棄して、
対象できない事にパニックする人が増えている。
その矛先を確実に他人に向ける。
自分は悪くないと、自分で納得するために。

無知の知を受け入れない。
私は、そんな大人になりたくない。

あ、深夜のダメ恋図鑑も思い出した。
私は、ダメンズメーカーにだけはならない。

考え続けよう。
「私」で出来ること。