無事帰宅、普通の親の闘病開始前、ダラダラ日記?

思わず、facebookに書き込みしてしまった。

実家に行くのは勇気がいる。

と。

 

 

幸い、2人とも穏やかだったが、おそらく、

お互いの落としあいの毎日なのだろう

その片鱗は見れた。

 

身体の負荷で辛さと不安が拭えない父

父への気遣いで疲弊している母

 

母は、自分の非を認めないという父

文句しか言わないという母

 

どちらも心と身体がアンバランス

 

 

それにしても今回は、父が喋る喋る。

相当な鬱憤がたまっているようだ。

 

父の足も見せてもらった。

指の皮膚がなくなり、骨が見えてたり、

単純に短く小さくなっている指もあった。

お医者様には「自業自得」と言われたらしい。

誰もがそうだね、と納得する。

 

その後悔を語る父

「あの時はそれでいいと思ってたんだよ」

そうだね、誰の話も聞かないもんね

 

父の不安は計り知れない。

「痺れて感覚ないんだよ」

それでも時折痛みが襲うようだ。

身体の痛みや苦しさには特に疎い母が無頓着に触れる。

「イテェ!」

無頓着だからこそ、対応できるのだろう。

少し考えたら、骨に直接衝撃与えられたら痛いことなど分かるのに、母は考えることもないのだろう。

それでも、心配してるからこそ、失敗している食べものが沢山あるのだ。

食事制限された父に与える食事への気遣いは、かなりの負担になっているようだ。

頑張ってる片鱗の、失敗した酸っぱいヨーグルトと不味そうなゼリーが下げられた。

冷蔵庫に入れたあたり、自分で食べるのだろう。

 

 

入院してた時に、何人も亡くなったらしい。

「俺が入院してる間に何人いなくなったか。。」

話の様子から、同室の人。

去年か今年かわからないが、父が入院していたのは数ヶ月だった。

「運ばれてく時に目があって、目が助けてくれって言ってんだよ」

それ聞いて初めて、病院てのは、

より死に向き合わされる場

なんだなと思った。

特に重症者のいる病室は、みんな重症者だ。

否応なく、隣の人の死を突きつけられるのだろう。

そう考えるとほんとに、重症者を入院させるのって、ただの延命行為だよね。

ほんと、尊敬する、病院の方々。

隣の人がいなくなるのを見送る日々より

家にいる方がいい気がする。

が、あの食事は考えものだなぁ

 

そんな話をしてたからか、家での言葉も気になった。

「雨、ここだけ降らねーんだよ」

へぇ。

また暴雨あったんだね、知らなかった。

そんな私だ。

「まだ若いのにかわいそうに」

滝壺に落ちて死んだ若者のニュースに、父が同情しているのに、テレビ族、と思ってしまう。

 

父が滝壺に落ちることはない。

なぜなら出かけられないから。

身近に、無闇に滝壺に飛び込みそうな人もいない。

人は、日々亡くなっている。

一生懸命に生きて、自業自得にしろ、不可抗力にしろ、人は死ぬまで一生懸命生きている。

若者への注意喚起として流しているなら、どれだけの若者がテレビを見ているだろう?親への注意喚起だとして、自ら危険域に行くような若者が、親や大人の言うことを聞くだろうか?

ニュースの意味がわからない。

滝壺付近の方々への注意喚起なのだろう。

私の中では必要のない情報になる。

 

色んな話を聞きながら

 

心のどこかでは相手が大変なのわかってても

自分の辛さにしか目がいかない。

そう思ってたら、意外な一言が出た。

「俺がいなくなったら、月一くらい、(実家に)来いよ」

「やだ」

即答した。

実家は恐怖でしかない。

いついかなる時に、

メンタルを破壊されるかわからない。

父が驚いた様子が感じられた。

「毎月でしょ、やだ」

若干、慌てている。

「1年でもいいから」

「1年かぁ、んー」

「お母さんも俺しか話し相手いないからよぉ」

「だから趣味作れって言ってんじゃん」

母のことは、従姉妹に任せてある。

が、食事に行くばかりで太る、

と今は会わないようにしているらしい。

今は会わなくてもいい。父がいるから。

まあ、珍しい父の頼みだ、考えよう。

……うん、明日、電話しよう。

 

沢山話してくれると、

やっぱり想いが伝わるからいいね。

 

ネガしか出ないから、

時折聞いてなかったけど。

 

なにより、父の状態は、今の私の状態にも類似している。

食べられないこと。

癌より前に、腎臓が悪いことがわかっていて

食事制限となった父。

今では食べると気持ち悪くなるらしい。

実は、私もそうなんだ、という言葉は飲み込んだ。

低血圧だったのが、突然高血圧になった

という話も、私には聞き捨てならない言葉だった。

私と父は体質が似ている。

身体に入れているものはだいぶ違うが、

糖尿病からの腎臓、さらには大腸癌の疑いは

いかにも私が通りそうな経路だ。

加えて肺癌は、タバコのせいだろうけど、私の場合、すでに呼吸器系が弱いことがわかっている。

父とニカヨル確率は非常に高い。が、別が重症になる確率も高い。

 

まだ、私は元気、なはずだ。

できれば隠し続けたい。

 

私のためにも、父の経過は見守る必要がある。

CTIの全身検査は1万8千円。高額補填?で8000円払った。それぐらいなら、まだ出せる。

 

今日の結果は、3日後らしい。

早いね。

急遽呼ばれて検査になったからかもだけど。

正直、肺は転移の可能性が高いと思う。

いくつの癌があり、手術できるか。

これが一番のキー。

手術できない可能性の話に激怒していた。

手術できない=確実な死

それを受け入れることが、まだ出来ていないようだ。

何年も前から、ちょいちょい聞く言葉

「お前も覚悟しとけよ」

両親が突然いなくなる覚悟なら、10代の頃から固めてきている。

10代の頃は不安で、時々、口元に手を当てて、息をしているか確認していたこともあった。

 

突然、親がいなくなる恐怖は、植え付けられた後は過剰反応していたから。

そこから、いなくなっても生きていける自分となるための生き方や考え方をしてきた。

さらに、その恐怖もまだ濃く、まだ、頭も心も未熟だった時に、父が言ったのだ

「俺はいつ死んでもいいんだ」

そう言ったから、親のいなくなる可能性を常に持って生きてきた。

様変わりしていく父を見ていても、ただ見守るしかできない。

 

義務。

実家にいた22年分、44歳までは両親を見守る義務がある。

けど、恐怖の種は出来る限り避けたい。

極力避けつつ、父の望みを叶えよう。

 

本日の行動

お買物→検査病院→ランチ、お茶→実家→帰宅

母とのランチも良かった。

が、ほんと、素直に褒めるってことがトコトン出来ない母。

これも強いコンプレックスから来ているのだろう。

こちらも明日、メールフォローしよう。

 

今日のところは、きちんと笑えて良い日に出来ました☆