不安と向き合うより自分がどうしたいかと向き合う

たぶん、親よりも優先順位上の人がいるから

親族に物凄く淡白なんだと思う。

 

でも、その淡白さが

不安に深く沈ませる心を軽くするらしい。

 

「好きにしたらいいよ」

 

大抵、そんな台詞で集約する。

 

「私には何もできないし」

 

出来ることがあればやる

という意思も親だからこそ、わかっている

……はず。

 

「そうだよな」

 

ここで、少し力が抜けて

少し心が軽くなったことがわかる。

 

 

不安そうにかけてきた電話は

もちろん私の身を案じた入りだが

いつも、

自分の不安を払拭してほしいのが伝わる。

 

だからこそ私は明るく

元気だ、大丈夫だ

と、伝える。何度でも。

 

メンタルが参るのは当たり前。

仕方がない。

日に日に弱る姿を間近にしていたら

メンタルもやられる。

 

私が淡白だからこそ

本人の好きにしたらいい

と、アッサリ言える。

 

共感も相槌も、

ネガに引きずられることもない。

私の変わらぬ声と考えは

不安ある人には安心を与える。

 

私は大丈夫だし、何かあればまた頼れる。

そう伝える。

 

父自身が電話をしてこないのも

おそらく、

今はまたメンタルがやられているのだろう。

その姿に母が滅入ってしまった。

 

今までの経緯から簡単に予想がつく。

 

数年前から時折ある。

一度だけ、父からだったけど。

母の入院では、父も相当堪えていた。

 

予想して旅行スケジュールを組んだのだが

見事にビンゴで、軽い登山も出来ていた父が

半年後には歩けなくなった。

 

そして今、いよいよ病気が進行し始めたらしい。

当事者たちのキツさは、私にはわからない。

言えるのは

後悔しないように、好きにしろ

だけだ。

 

不安だ、不安だと言っていても

何も変わらない。

こうなったらどうしよう。

と言ってても、

いつどのタイミングでそうなるかわからない。

だったら、自分がどうしたいかを考えたい。

 

自分がどうしたいか

 

私は自己中なので、それしか考えていない。

 

EXITとDa-iCEの曲が凄くいい。

守るべきモラルとルール

それ以外自由でいよう

悩みなんて忘れさせるさ

 

って、私の今日の電話かいっ!

 

自分が、どうしたいか