話せる人、話せる場、理不尽

話せる人
話せる場

が、あるって大事だな
と、思った


そしてみんな、
話せる人
話せる場
を求めてるんだな
と、思った


職場で話せる人はいますか?
という質問項目があった。
迷ってから、いいえにした。


ここ数日、人を羨んでるばかりな気がする。

でも、軽い気持ちで話聞くよ、と言われても
話す気にならない

優しい人ほどメンタルに影響を受けやすい


外的要因に感情を左右されるのは
自分の意思を持つだけの材料が少ないから。
もしくは外的要因を言い訳に
自分が本当に今すべきことから目を背けてる。


雨は雨なりに
雨として雨の役割を果たしているだけ

なんで降るんだ!
と、雨を責めて立ち止まってるより
早く屋根のあるところへ移動する方がいい


外的要因に振り回される日もある。
私も理不尽が4回もあった日があって
でも振り返ったら4回だったんだ、と思った。
めちゃくちゃメンタル大変だったけど
そんな日もある、と受け止めるしかない。
怒気さえ放ってそうなくらい、
気持ちを放ってはいたけれど
やるべきは、収めること。

精神的によろしくないのは確か。
この仕事、カウンセラー目指す人にオススメできるな。


正直、
話せる人がいる
話せる場がある
それだけで羨ましかった。
だから、
話せる場としてTM入ったというのもある。


私の言葉は、刃だなと思う。
正論喉元突きつけて、、をやってしまうから。

正論を受け入れて、
捉え方を変えてきた10年だったから
もうそれ以外受け入れられないのかもしれない。


それは、逃げだろうな
そう感じることがある。
上記の理不尽もそう。
うまく対処できない自分の逃げとして
相手の理不尽を理由にしている。
相手にとっては私が理不尽なのだ。

知らないことを誇る人が多すぎる。
知らないのに対応しないのは理不尽。
この二つの理不尽。
1〜10まで説明しないと納得しない人が多い。
だから、今の日本が面倒になってる。
知らなかったと言わせないための対応。
何でも与えられてきた日本的。
自らの探究心を持って調べる。
そんな人の、なんと少ないことか。

お金は出たら戻らない

そんな認識が当たり前になればいいのに。

そしたら、みんなもっと慎重になる気がする。

 

結局、羨ましいのだ。

話せる人がいること、

感情をぶつけられる人がいること、

なんて羨ましい人だろう

 

本音を話したら、9割型ブラックになりそうだ。

それを発散できる人が羨ましい。