平和

なんだか

懐かしいことを想い出していた

 

小学生までは平和だった。

本当に平和だった。

 

団地だったから、年齢近い子がいたけど、

小学と中学で別れた途端

みんなでは遊ばなくなった

 

小学生までは、平和だった。

それなりに、交流もあった。

 

ふと、兄の方が同い年の兄弟を思い出した。

今でも不思議なんだけど、一度だけ電話来て

ホットケーキが作れない

って言われて

混ぜるだけじゃん

って、家に行って作ってあげて

ホットケーキだ!

って、妙に感動してたのが印象的だった。

なぜか、親がいないタイミングだった。

いや、親がいなかったから、ヘルプが来たんだと納得した。

 

その弟の方と、小学校まではめちゃくちゃ一緒に遊んだ記憶があるんだけど、

中学になって、部活しか見てなかった私は

その男の子の存在すら忘れていた。

 

団地から皆引っ越して、皆大人になった頃、

一度だけその兄弟の家に行った。

顔だけ見たけど、お父さんと同じで

めちゃくちゃ背が高くなっていた。

皆で集まったのは、あれが最後だったなぁ

それも、ほんの短い時間だった気がする

 

団地の同じ号棟で

男兄弟の家族と女姉妹の家族と

私だけが仲良くさせてもらってた。

 

そう考えると、

相当、閉鎖的な家庭だったんだなぁ

両家に行ったことはあっても

来てもらった記憶はその半分もない。

実際、ほとんど来たことなかったはずだ。

 

それでも何故か、うちの親と弟くんと

一緒に川に行った記憶とかあるから

うちの親もそれなりに関わっただろう。

ティモテティモテと頭を回して

川で転んだ弟くんが忘れられない。

 

予兆はあっても、平和だった。

 

平成、平和に成る、

そんな月日だったのかもしれない

 

あんなに一緒にいた弟くんと、

中学に入った途端、

どう関わっていいかわからなくなった。

部活に集中して、姿も見なくなったから

大人になって失恋が落ち着くまで思い出しもしなかった。

 

私が素でいられたのは

中学3年の隣の席だった子と

小学生の時の弟くんだけだなぁ

と思ったら、凄く貴重な人に思えて

ちゃんと関わっておくんだったなぁ

とか思った。

30才までの私には難題だけど。

 

もしバスケ部に入ってたら

関わってたかもなぁ

もし、きちんと話してたら、、

 

波瀾万丈を超えて、

メンタルも大人になって

今だから、何のプラマイもなく、

そんな可能性あったのかなぁ?

と、思う。

それ以上は考えないけど。

だって、その選択肢の先には行けないから。

 

今は、今を生きてる。

そして今は、素のままでいるつもりだ。

 

 

夢を実現させて

私が八丈で暮らせるようになったら

みんな来て欲しいな。

今は恥ずかしくて会えないけど。

 

友達だと思ってたのは

私だけだったみたいだけど、

とても大切な時間をくれた友達も

来てくれたらいいな

兄にも、その周りの人にも来て欲しい

普段と違う時間を過ごしてもらえら嬉しい。

お世話になった人、素敵な上司にも

 

やっぱり

八丈で何かやりたい

無難は、民泊の勉強かな

でもやっぱり、できる気がしない(^^;

畑よりは、リアリティあるけど

民泊は持ちたいけど、やりたくない。

まずは、知識だね