自分に

自分で自分におめでとうと言いたくなった。

こんなに生きると思わなかった。

 

大切な出会いがあった。

色んなことがあった。

色んな人がいた。

だから、今の私がある。

 

誕生日祝いとか誕生日会とかしたことなくて

お祝いなんて、

礼儀でしかされたことないから、

全くピンと来なくて

「おめでとう」って言葉に違和感さえあった。

全く何もないときもあれば、

数人からおめでとうとだけ来る年、

珍しく親からお祝いメールが来るとき

礼儀で祝ってもらえた時。

 

昔の年明けみたいに

誕生日に毎年Liveがあったら最高なのにな☆

 

それでも

寂しさだけはつのってしまうから

自分で人といる約束を毎年取り付けてる。

 

祝われないように

けれど寂しくないように過ごしてきた誕生日。

 

今年は少しだけ違う。

今日まで生きてきた自分に

頑張ったな

って思いが生まれてる。

 

本気で早く死にたいと思ってた10代

早く死にたいけど、生きようと思えた20代

30代で死ぬって本気で思ってた。

その年を超え、翌年も過ぎた時

ああ、私生きるんだ

と思って、

初めて生きるための人生を考え出した。

 

いつ死んでもいい

という、死を前提の生き方は

早く死にたい思いでもあった。

どうせ死ぬんだからと

生きることを真剣に、本気で考えてなかった。

死ぬ予定だった年に、

私はお墓に入りたくありません

という契約をした証拠品が部屋に飾ってある。

こんなに生きると思わなかったんだ。

 

これからも生きるなら

私はこのままチャレンジし続ける人生がいい。

 

いつだって自分の意思で生きてる私は

絶対幸せものなのだ。

だったら、もっと幸せを感じられるように

チャレンジの人生が良い。

誰になんと言われようと

私として生きてる私がいい。

 

もしかしたら、今初めて

何かのためにやりたくないこともやる

と決めているかもしれない。

逃げたい心と対峙しながら。

どうなるかわからない不安と

成功と

思いがけない展開への期待と

すべてが幸せな要因。

 

やっぱり向いてない

という自分の心に無意識で問いかけている。

「私はそれでもやりたいのか?」

そうして応える答えは、今はいつだってYES

やりたい。失敗してもいい。やりたいのだ。

あれもこれもそれも。

 

全ては同じ目的。

老若男女+自然が交わる社会の一因になりたい。

想いは変わらない。

それでも泣きたいくらい不安だ。

 

私は1人で生きると決めた。

老若男女+自然の共存社会のために生きたい。

生きたい。

 

今日まで生きてきた自分に

頑張った!

今日から踏み出す自分に

幸せに生きよう

 

自分を少しだけ愛しく想えた

それって、すごいことだと思う