自分の口から出す言葉

繰り返し言う言葉は
自分が言って欲しい言葉

そして
自分に言い聞かせてる言葉

周りに共感できない
なら

自分はどうしたいのか

それをずっとずっと考え続けている

周りと同じようにはなれない
なれなかった

なら、自分はどうなりたいのか

それがないと
誰々が、、という言葉が無くならない
人から得る幸せ、
人と比べて得られる幸せは
長くは続かない

わかりやすく言うと、
ドラマや映画、LIVEかな
評価評論で、気持ち良くなって終わり。
普通の人は。
それが仕事の人はさらに深堀りする。
その人が選んだ道。

周りが面白いと言って観てみたけど、
イマイチだった
そんな映画も、自分が選んで観たもの。
(↑翔んで埼玉、周りの言葉聞きすぎた(笑))

周りがどんどん変化して
どんどん明るくなって
どんどん成果を出していく

私は小さな変化しか出来なかった。
それでも、頑固者の私がここまで変われた。
だから、感謝してる。
それでも、そこにいるには
私はあまりにも、意思が弱すぎた。

自分の意思を確認し、
それを貫く人たちは眩しい。

自分もそうなれたらな、と思った。
人によっては、私がそう見えるらしい。

私も自分の意思を持って動くことの大切さは
きちんと学んだから、
自分の意思での言動
という意識を持って生き始めた。
だから、人によっては、
私が眩しく見えるらしい。

それでも、人は千差万別だ。

一度、八丈で何かしたいと話した時に
アロエベラを買ってもらうために自分と会っているのか
というようなことを言われた。
私は、不安と戦いながら語っていることを伝えた。
彼女は慌てていたが、捉え方というのは残酷だ。

話せる人がいる、というのは貴重だ。
その人以来、面と向かって話はしなくなった。
人と会うこと自体、なくなった。

色んな人に会えてる皆んなが羨ましかった。
頑張っても頑張っても、
色んな人に出会っても、
私が友達と言えなくなった。

色んな人に会えてる人が羨ましかった。
せっかく出会っても、私は続かなかった。
人間不信でなく、自分不信が強くなった。
私が連絡しなくなったから、
全ての人と切れたんじゃないかな。
趣味友以外(笑)

どんなに羨ましくても
選んだのは自分

足掻いて足掻いて
それでも、ある程度以上にならなかった。

それでも、普通に人と話せるようになった。

それでも、
それでも、諦められないことができた。
それがあるから、生きれる。

共通の仲間とは、繋がっている。
そこで、普通を知ることも出来ている。

テレビ(流行り)も世間(社会)も興味ない

私が、どうしたいのか

今は、自制心をつけなきゃいけない
誰が何を想い、何をしようと
それはその人のこと。

私は、そうなりたいか?
そうなりたいなら、どうしたらなれるか?
そうなりたくないなら、どうなりたいのか?

考えることをやめたら、生きられない
誰かに流される人生なんて嫌
誰かに依存した人生は嫌

でも、間違いなく影響は受けている

その上で、どうしたいのか?
これから、どうなりたいのか

誰かに依存できたら
そう思う。
でも、依存してもいいと思える人は
いない

自分なく、ただ生きるために生きる
そんな両親みたいになりくない

私も生きるために生きてる
それでも、自分の夢だけは、
一生持ち続けて生きたい