羨望。応援される人

先日、都内でマラソン大会があった。

 

毎年、このマラソン大会コースの

「中」で予定があり、地下鉄の狭い階段を

戦々恐々としながら通る。

 

応援団と見える人たちがゾロゾロと

狭い階段を行く。

心の中で大きな舌打ちと、

まぁしゃーない

という思いが同居する。

一次感情と二次感情の同居は

もう珍しくない。

 

私は

また泣きたくなっていたから

あえて

クソッ、走りゃよかった!

と、真横で応援旗をたたむ姿を

同じように歩いてみてた自分に

舌打ちした感情を少し強くして、

涙を抑えた。

 

それは、ほんの一瞬の出来事。

どんな感情を持っても

今の現実はなんら変わらない。

 

羨ましかった。

子どもの運動会でさえ泣いてしまう。

ピュアな人たちが羨ましくて仕方ない。

 

これは、独りもんがカップルを見て

リア充

と言ってるのと似てる。

 

爆発しろとは思わんが(笑)

1人でも多く、

「幸せな」家庭を持ってほしい

と願ってるから。

 

応援団は、マラソンチームのようだった。

応援する人とされる人

同じ方向を見て、同じように頑張って

同じように互いを励まし合える人たち。

 

狭い歩道の車道側は、

隙間を「見つけ」なければならない状態。

 

「誰かのために」

そこにいる人たちに涙が出た。

 

それは、ほとんどの人は、

誰もがしってる芸能人のため

ではないはずだ。

 

『頑張ってる人を応援したい』

そんな気持ちは、誰にだってあるはずだ。

 

だから、何かを頑張る人が応援される。

 

頑張ってみよう

 

 

私の今一番大切に思ってる二方は

1人はもう私が何かを考えることすら野暮。

1人は、

自分の幸せを求めて求めて頑張ってる。

ピュア過ぎて、どんな八つ当たりも

羨ましいとしか想えない。

心に素直に

その方は、本当に求めて求めて

頑張り続けてる人だから

応援され続けるだろう。

 

頑張ろう