真面目のレッテルはいらない

ゴミを拾って思った。

未だに、知ってる人の目がほぼないことを

確認してから拾う。

 

私は、褒められるのが苦手だ。

 

承認欲求はめちゃくちゃ強いくせに

褒められるのは苦手だ。

 

特に、これは良いこと、と分別されることが。

ゴミを拾うというのがわかりやすい。

 

えらいね

って言われても、ゴミがそこにあり

あそこにゴミ箱があることを知っている私は

それこそ

地上からゴミが一つなくなる素敵な状態

の方がいいなと思うだけ。

褒められたくてやってる訳じゃないし

えらいね、とか、凄いね、とか言わずに

お前もやれ

と、思う。

 

ああ、そうか、本当に表面だけが嫌いなんだ。

「みーきを見て、私もこないだ、気になってゴミ拾ったわー」

って、さらっと言ってもらった方が格別に嬉しい。

 

私もいつも拾う訳じゃない。

駅のあそこにゴミ箱があるとわかってて

この間は、コンビニの前だったから

そこに捨てようと拾っている。

 

時々、ゴミをまとめた袋が鞄に入ってて

そこに入れることもあるが

いつもいつもゴミ袋がある訳じゃない。

 

缶が椅子にあり

そこに自販機があれば、捨てる。

それだけ。

 

汚部屋在住の私は、

私以外にスマートさを求めてしまう。

ので、そんな私が褒められるのは気持ち悪い。

 

矛盾だらけの自分

 

褒められる

のが、苦手だ。

慣れてないだけかもしれない。

けれど、

真面目のレッテルへの嫌悪感

が、ひどい。

 

真面目と思われたくない。

この強い、強烈な学生時代の想いが

今もある。

 

これは、周りも気を使うよな

と、思った。

 

ゴミはまだいい。

が、「全ての」好意的な行動を

褒められるのが苦手、というのが厄介。

 

そうか、

「ありがとう」と言われるなら受け入れられるんだ。

 

ありがとうの好意的行動も

もっと増えたらいい。

 

今の職場には、入口にきちんと一人一人に挨拶する警備員さんがいる。

私も返す。

誰も返さない中で、返してもらえることが

どれだけ心強いか。

チラシ配りや試食コーナーをやったこともあるから、反応があることが頑張りに繋がることを知っている。

 

警備員さん、交通整理の人、掃除してくださる方々、私はいつも感謝している。

ずーっと立ってるとか、掃除とか、私には出来ないから余計に感謝

 

前に、友人が工事の交通整理している人に

「ありがとうございます」

と言っていた。

その友人にとって1番効果的だろう人に話す機会がたまたまあり、伝えた。

本人には、なんて言っていいかわからない。

偉いね、じゃなくて、すごく嬉しかった。

 

 

本当、褒められるのが苦手。

素直に受け取れるよう、努力します。